村上春樹『海辺のカフカ』
村上春樹『海辺のカフカ』
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14年ほど積読

村上春樹の『海辺のカフカ』である。
新刊が出た当初に購入して最初の数ページを読み、以来、あいだが空いてしまい、なぜか読む機会もなく、これまでず~っと積読になっていた。
本書は2002年の9月発行なので、つまり、14年ほど積読になっていたわけである。
後から出版された『1Q84』は読了したのだが…。
…で、感想としては「やはり『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は越えられなかったか」というところか。
個人的には村上春樹の最高傑作は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だと思っている。
『世界の終わりと…』にはあった心地よさが本作では感じ取ることができなかった。
ついでに言うなら、二十代に読んだ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と、今の自分が読む『海辺のカフカ』を同じ土俵で語ることができないことは十分、承知しているのだが。
今の自分がどのような感想を持つのか、そのうち『世界の終わりと…』も再読してみよう。

空虚さが気になる

小説の良し悪しとは別の次元の話なのだが読み終えて、物語としての、その空虚さが気になった。
つまり、物語としてのフレームはあるのだが、中味が詰まっていない感じとでもいうのだろうか。
読者に、登場人物の関連性や重要なアイテムの実態を暗示したり予感させることは述べられているが、なぜそうなったのか? 何がそうさせたのか?、それは何なのか? といった物語の核になるようなところは一切語られない。
ジョニー・ウォーカー氏やカーネル・サンダース氏といった、正体不明の人間とも形而上のなにかとも、つかぬ「サムシング」が登場し重要な役割を担う。
このあたりは、ほかの村上作品に共通するのだが、本作はこのあたりの道具立てが、いつにも増して多いような気がする。
そうした伏線を回収しないメタフィジカルな「サムシング」が、いたるところに登場しすぎたために妙に空虚感が増幅されたのかもしれない。

舞台が四国なのも気になる

村上春樹の描く小説の特徴として、登場人物たちの生活感の無さが挙げられると思う。
そこには血の通った人間はいない。
故に四国といった、土着の匂いの濃い土地が舞台なのは似合わないような気がする。
東京や北海道のような、ある意味、ニュートラルな場所なら、そうでもないのだが…。
四国は「四国八十八ヶ所」や「お遍路さん」に象徴されるように島全体が霊場であり、パワースポットともいえる土地だ。
そういう意味では、摩訶不思議なことを描きやすい場所かもしれないが、本書のようなマジックリアリズム的なアプローチの方法は四国には似合わないのではないだろうか?

カもなくフカもなく

物語はカフカという少年が主人公のプロットとナカタさんという老人が主人公のプロットの二つが並行して進みながら段々と収れんしていく。
このあたり、『世界の終わりと…』と似ているかもしれない。
ギリシャ悲劇のオイディプス王というモデルがありますよと、前置きして同じような物語が綴られていくのは、なんか興ざめである。
ナカタ老人は猫と話ができて、一週間も眠ったりする。
まるで石ノ森章太郎のサイボーグ009に登場する赤ん坊みたいだ。
いろいろと、瑕疵も多いと思う小説だと思うが、可(カ)もなく不可(フカ)もなく[しゃれか]というところが自分の評価である。

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