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小説のもつ力を感じる作品
天童荒太の『悼む人』です。
最近読んだ小説のなかでは、もっとも小説の持つチカラというものを感じた作品です。
イヤハヤ、何と言うか、いろいろと考えさせられます。
人の死、人を愛するということ、善人と悪人、家族の絆、…。
へヴィーです。
泣けます。
直木賞受賞作です。
装丁の彫像は天童荒太の装丁ではおなじみの船越桂。
ぜひ、今を生きる多くの人、いま困難に直面している人に読んでほしい作品です。
見ず知らずの人のための巡礼なのか
物語は主人公に築坂静人という事件や事故、自殺などで人が亡くなったところを訪れては亡くなった人を悼むという旅を続けている青年を据え、彼を巡る人たちの生き様を描くという構成になっています。
主人公の築坂静人は人が亡くなった場所を訪れては「この人は誰に愛され、誰を愛したでしょうか。どんなことで人に感謝されたでしょうか」と関係者や周辺の人々に尋ね自分の記憶にとどめる、こうして亡くなった人を悼むのである。
こうした尋常でない行動は彼と接する多くの人たちを当惑させ混乱させる。
殺人事件を取材中、偶然、静人と出会った週刊誌の記者は彼のこうした行動に興味を持ち、彼を追いはじめる。
自分の夫を殺害し刑期を終えて出所した女性は、静人に不信を抱きながらも行動を共にする。
やがて彼女は自分の心のうちに住む、自分が殺害した夫の言葉を借りて、静人を理解するようになる。
しかし、こうした静人にも最初から理解し支えてくれる人たちがいた。
末期がんに侵されている静人の母親をはじめとする彼の家族たちである。
いつしか静人はネット上で悼む人といわれ、彼の行動に共感したり彼に救われたりする人々が現れはじめる。
「悼む」という言葉を辞書で調べてみると「人の死を悲しみ嘆く(大字泉)」とあります。
プロローグを読んだところで、どうにも居心地の悪さを感じました。
それは、きっと作品中で彼と出会う人々が彼の行動に戸惑うことと同じようなことなのでしょう。
あるいは、読む人によっては最後まで、この気分が拭い去れない人もいるような気もします。
自分の場合、読み進むうちにいつしか「なるほどねぇ」と妙に納得できるようになってきました。
それは、決して積極的に共感できるものではありませんが「こうした人物がいたら応援したいなぁ」という気がしています。
実際に、身内にこういう人がいたらそりゃ困りますけど…。
日常には死があふれかえっている
毎日のニュースを観たり新聞を読んだりするかぎり、世の中に人の死というのはあふれかえっています。
あまりにも手軽に自殺したり簡単に人を殺すという事件が多すぎます。
作者の意図がどうあれ、この小説はそうした、あまりにも軽くなってしまった命に向き合う社会に対する批判やアンチテーゼが含まれているような気がしています。
新聞やニュースで報じられた死者一人ひとりに対し、彼らの死を顧みるということは、実際不可能なことです。
しかし、彼ら一人ひとりの死を悼もうとする主人公の行動には、本来、人の死に対してこのぐらい真面目に向き合う価値があるのではないかと思わせるものがあります。
それにしても静人の母親の巡子は強い人ですねぇ。
とてもチャーミングで、ステキです。
こうした生き方ができる人は偉いなぁとストレートに、掛け値なしに思います。
倉本聡の『風のガーデン』をちょっと思い出しました。
きっと静人の母親が末期がんで亡くなるまでの生き方が中井貴一が演じた『風のガーデン』の主人公と重なったせいかもしれません。
亡くなった人の人生の本質とは…
最後に印象に残ったセリフがあるので紹介します。
静人と行動を共にする女性が、殺した夫の言葉を借りていう問いかけます。
『殺された理由とか、殺され方とか。理不尽な死への怒りや悔しさを胸に刻むことのほうが供養になる場合があるんじゃないかな』という問いかけに静人は次のように答える。
『怒りや悔しさをつのらせていくと、亡くなった人ではなく、事件や事故という出来事のほうを、また、犯人のほうを、より覚えてしまうことに気がついたんです。たとえば、亡くなった子どもの名前より、その子を手にかけた、犯人の名前のほうが先に頭に浮かぶ、というようなことです。亡くなった人の人生の本質は、死に方ではなくて、誰を愛し、誰に愛され、何をして人に感謝されたかにあるのではないかと、亡くなった人々を訪ね歩くうちに、気づかされたんです』このセリフにはこの小説の本質があるのではないでしょうか?