『波の音が消えるまで』沢木耕太郎
沢木耕太郎『波の音が消えるまで』
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沢木耕太郎の『波の音が消えるまで』である。
なんというか、じつに男に都合のよい小説である。
という訳で、男の自分としては、ある種のヒリヒリするような憧れをもって読み終えた。
作者の沢木耕太郎は、自分が学生の頃、ライターを目指そうとしていた人たちにとってカリスマだった。
自分の周りにも、そうした先輩がいたが酒を飲みながら彼らとよく作品について論じ合った思い出がある。
そんな訳で著者の『深夜特急』をはじめノンフィクションやエッセーは様々読んでいるが、初めて読む彼の小説である。

主人公の伊津航平は元サーファーのプロカメラマン。
設定自体、実にカッコいい…。
香港が中国に返還されようとする、まさに、その日のことである。
バリ島でサーフィンで生計を立てていた航平は東京に帰る途中、トランジットのため立ち寄った香港でホテルが取れず、やむなくマカオへ渡り、そこでホテルを見つける。
航平は、ちょっと様子をみるだけのつもりでカジノをのぞいてみた。
しかし、予想された通り、様子を見るだけでは済まなかった。
彼がハマったのは、トランプを使ったバカラというゲームである。
勝ち負けを超え(と書きながら結局は勝ち負けでしかないのだが…)、バカラというゲームの必勝法=究極の法則を求めようとする航平。
そしてカジノで出会う劉さんという謎の日本人や李蘭という娼婦。
あるいは村田明美というホテルのスタッフ。
そうした、主人公の周りの人間たちが物語を紡いでいく…。

阿佐田哲也を彷彿とさせるバクチ小説である。
昔の麻雀や将棋を扱った小説などにはよく、ゲームの流れや役がパイや駒の図で表されていたりしたものだが、本作もバカラのテーブルレイアウトの図があったりゲームの流れが分かりやすいように工夫されている。
という訳で、バカラというゲームにかなり力点が置かれていて、読者によっては、このあたりで受け付けないという人も多いと思う。
自分も、読み始めはバカラというゲームの理論やゲームの流れが、説明的で、正直「ちょっと読み難いなぁ」と思った。
しかし、上巻の中盤以降、人物に軸が移り物語が動き始めるとページを手繰る手が止まらなくなった。

読んでいるあいだ、どうも、小説を読んでいるような気分になれなかった。
ニュー・ジャーナリズムの手法に則ったノンフィクションを読んでいるような気分とでもいうのだろうか。
デテールも精緻で彼の描くノンフィクションと共通する部分は多い。
文章には相変わらず沢木耕太郎らしいナイーブさがある。
そこが好きなんだなぁ。

誰もが受け入れやすい小説だとは思わないが、自分はよい小説だと思った。
しかし、女性が読んでも、あまり、本作のよさは判らないかもしれない。
というのも、いわゆるダメンズの物語で相当、男に都合の良い物語だから。
男にしてみれば本書に登場する村田明美という女性のありがたいこと…。
「こういう、女性が自分の周りにいないものだろうか」などと、いえば女性の反感を買うこと必至だろう。

結局、本書で描かれたのは「バクチの必勝法」と「溺れたい願望」なのだと思う。
バクチに必勝法はない。
しかし、本書では、そのないモノにかなり迫れたのではないだろうか。
もう一つの「溺れたい願望」。
これは、人間、誰にでも普通に持っているのではないだろうか?
結構、人間という生き物の根源に近い部分にあるのに、みんな近寄らないようにしている。
そこに触れると危ういことを、みんな知っているからである。
危ない危ない…。

あー、自分もなにかに溺れてみたい。
けど、やっぱり、怖ろしい…。

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