吉田修一『続 横道世之介』
吉田修一『続 横道世之介』
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吉田修一の『続 横道世之介』です。
“続”というからには、当然、前作がある。
前作を読んだのはもう、10年近くも前。
その時の印象は「いい小説だったなぁ」と、未だ鮮烈なものとして自分の記憶には残っている。

2001年に山手線の新大久保駅でホームから落ちた男性を助けようとして日本人カメラマンと韓国人留学生の三人が亡くなるという痛ましい事故が実際にあった。
『横道世之介』は、そのときの日本人カメラマンをモデルに描かれた。
とはいっても、ノンフィクションのようなものではなく、多くは作者の創造によるものが大きく実際に亡くなったカメラマンとは、相当、かけ離れたキャラクターとして描かれたのだとは思うが…。
(本当のところは、わからない)
主人公の世之介は大多数の大学生と変わらない、普通の大学生として日常を送っている。
そうした、普通の若者が、とっさにヒロイックな行動にでてしまう。
まさか、10年もたってから続編が出るとは思わなかった。

本作で描かれているのは、前作同様の緩やかな善良。
物語は、世之介が大学を卒業しバブル時代の終わりを告げる1994年ごろと、すでに世之介は亡くなり東京オリンピックを向かえる2020年が交錯して描かれる。
過去の話であり、未来の話でもあるのだ。
世之介は一年留年し大学を卒業したが、就職活動に乗り遅れパチンコとアルバイトで食いつないでいる。
そうした彼の周辺に現れる女性たち(恋人といっていいのか友人といっていいのか…)や親友。
世之介は相変わらず煮え切らない、小市民といった日常を送っている。
しかし、そうした小市民の日常にも小市民としてのドラマがあるのである。
そうした、日常が主人公の性格のような緩い筆致で描かれている。
そんなわけで、文章もスラスラと読めるし笑えるところも多い。

改めて前作もパラパラとめくってみたが、10年も前の作品と文章や文体が変わっていないことに、プロの作家のすごさを感じた。
井上ひさし(だったような気がする)が、「小説は文体の継続である」というようなことを誰かが書いていたというようなことを、何かで書いていたのを読んだ(ような気がする)が、本当にそうだと実感。

今、世の中はSNS全盛時代。
意見の異なる立場の人間を激しい言葉で罵ったり、自分の正義をことさら、振りかざしたりと「なんか、いやだなぁ」と思うことが増えてきた。
抜き身の正義よりは、ここで描かれているような緩やかな、輪郭線のない、ぼやっとした善良というのが必要なんじゃないかなと思えてならない。
本作しか読んでいない人は、ぜひ前作の『横道世之介』も読んでほしいというか、前作あっての本作である。

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