高野秀行・清水克行の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』である。
世界の辺境を旅するノンフィクションライターと室町時代を研究する学者の二人による対談集。
高野秀行は早稲田大学の探検部出身のノンフィクションライター。
彼の本は何冊が読んでいるが、世界の途上国を訪れユニークな視点でユーモアのある語り口で描いた旅行記的なルポルタージュが多い。
一方の清水克行は中世史を専門とする明治大学で教鞭をとる歴史学者。
二人がいうには、日本の中世とアフリカやイスラム圏の発展途上国の社会通念や地域を形成する集団のシステムがものすごく似ているのだそうだ。
それは複数の法律や秩序が重なり矛盾する中で社会が成立しているところが大きい。
例えば公の法律はあるが、その中でも村社会や共同体の中で通用する規則や習慣がある。
そして、それらがそれぞれの枠組みの中で矛盾したりせめぎあったりしているという。
実際は、もっとくだけた対談集なのだが話題があっちこちに飛び、それが面白い。
ちなみに装丁の日本画は山口晃の「奨堕不楽園」。
この絵も面白い。
とりあえず、面白いと思ったところを下記にメモする。
- 中世の日本やソマリアでは自分の屋敷に訪ねてきた客人を大切にする。それが、たとえ罪人であっても自分の屋敷の中は治外法権。
- 古代の日本は中華文明を目指していたが、中世は中華文明をあきらめた。中華文明からの距離感が重要。あまり近いと朝鮮のように儒教の元祖以上に原理主義的になってしまう。
- 中世から近世にかけてはコメは新米より古米のほうが値段が高かった。なぜなら古米のほうが炊いたときに量が増えるから。ミャンマーやインドも同様。ただ、ミャンマーやインドのインディカ米はぱさぱさした方がおいしいという理由もある。
- 未来は見えないから背中。要は未来へは後ろ向きで歩いていくようなもの。古代のギリシャなどでは未来は後ろにあると認識されていたので、未来へバックするといういいかがあった。つまりはバック・トゥー・ザ・フューチャー。
- 日本の人々は、なぜ宗教心をなくしてしまったのか? それは天台宗では「草木国土悉皆成仏(そうもくこどしっかいじょうぶつ)」という思想が大きい。つまり草も木も万物が仏になる素質があるという思想。
- 室町時代に各地に特産品や商品作物が生まれ、それを都市で消費するようになる。すると商品作物ばかりをつくるようになり、飢餓の原因になってしまう。江戸時代にコメで年貢を納めるようになると雑穀はつくらず、コメのみをつくるようになったのも飢餓の原因。要はモノカルチャーは飢餓や危機に脆弱。
- 戦国時代の戦いは馬は戦地までの乗り物。実際の戦場では馬は後方につなぎ、徒歩で戦う。なぜなら馬は市場価値が大きかった。
- 歴史学や人類学のフィールドワークは上からと下からアプローチする必要がある。上というのは町長や長老などの権威のある方からの調査。下というのは市井で実際に生活している人々。そうしないと実態が見えてこない。