『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
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ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です。
話題になっていたことは知っていましたが、いまさらながらという感じで読んでみました。
基本、英国での生活や日常が女性の視点と親しみやすい筆致で描かれ読みやすかったです。
夫を配偶者と書き、自分をかあちゃんと書き、自分の父をじいちゃんと書く。
このあたりに著者のパンキッシュなマインドを感じますが、文章自体はちゃんとしてます。
子どものいる夫婦には、ぜひ、読んでほしいと思いました。
おススメです。

その内容はといえば、概ね次のような感じでしょうか?
英国のブライトンに住む日本人の著者とアイルランド人の夫の間に生まれた息子が、地元のどちらかといえば底辺の中学に入学。
小学校はカトリック系の、そこそこの小学校に通っていたにもかかわらずである。
その中学では、イエロー、ブラック、ホワイト(順不同・五十音順[こういう注釈も、ポリティカル・コレクトネスを意識すると必要…?])といった様々な人種や中流から貧困家庭といった、ようするに多様で雑多な生徒が通ってきていた。
そこで起こった様々な事件や事柄を通じて、人種問題やLGBT、階級と分断など、今、世界のあちらこちらで話題となっているテーマについて考察した教育論のような文化論のようなエッセー。

図書館で本書を探したときに、最初に探した場所が「エッセー」が置いてあるコーナー。
見つからなかったので次に探した場所は「地誌・紀行」の英国のコーナー。
そこにもなかったので「教育」のコーナーを見たら、やっと、見つかった。
本書の内容からすると、どこに分類するか悩みそうな司書泣かせの本だと思う。

本書を読んで、多くの考えさせられることがありました。

例えばエンパシーの話。
文化や人種の異なる多様な人々が住む英国の中学ではエンパシーなんてことも習うのですね。
エンパシーとは他人の感情や経験を理解する能力。
大辞林のデジタル版には「シンパシー(sympathy)は他人と感情を共有することをいい、エンパシーは、他人と自分を同一視することなく、他人の心情をくむことをさす。」とある。
シンパシーは頭で考えることなく自然に生まれる感情だが、エンパシーはあえてその人の立場にたってみるというひと手間が必要になる。
中学生の息子はエンパシーのことを「自分で、誰かの靴をはいてみること」と言ってみせた。
イヤー、なかなか、ですね。
という風に、この息子さん、なかなか大人びた、すごく、できた少年なんですね。

また、数年前からいわれているPC(ポリティカル・コレクトネス)の問題。
日本語でいう「政治的に正しい言葉遣い・用語」のことである。
多様な文化・社会の中には、思いもかけないところにPCの問題が潜んでると本書では注意してます。
最近では、行き過ぎたPCというのも、問題になっているようですが…。
実際「政治的に正しい」と大上段に振りかざされると、何も言えなくなってしまい、本質的な議論がおざなりになってしまうこともあるのではないでしょうか?
PC自体は、決して否定するものではありませんが、難しいですね…。

ついでながら、異なる人種の間に生まれた子どものことを「ハーフ」というのはPC的にはよくない言い方らしい。
最近では「ダブル」や「ミックスルーツ」というのがよいそうです。

本書のサイトを覗いてみたら、ずいぶん、いろんな賞を受賞しているんですね。
ざっと上げるだけで「読者が選ぶビジネス書グランプリ2020 リベラルアーツ部門」、「埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2019 第1位」、「Yahoo!ニュース 本屋大賞2019 ノンフィクション本大賞」、「第13回 神奈川学校図書館員大賞(KO本大賞)」、「キノベス!2020 第1位」、「We Love Books 中高生におすすめする司書のイチオシ本2019年版 第1位」、「第7回 ブクログ大賞 エッセイ・ノンフィクション部門」、「第73回 毎日出版文化賞特別賞」、「第2回 八重洲本大賞」。
いや、スゴイです。
でも、本書を読んで納得。
そうした様々な賞を受賞するのも、むべなるかなと。

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