『人新世の「資本論」』斎藤幸平
斎藤幸平『人新世の「資本論」』
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斎藤幸平の『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』です。
2021年の新書大賞を受賞した話題の本です。
そんなわけで、手に取ってみました。

久しぶりに読む経済関連の本ですが、いまさらマルクスに類した本を読むとは思いもよりませんでした。
情報量が多く、一気読みという訳にはいきませんでしたが、決して難しいことが書かれているわけではありません。
各セクションの文章量が程よくまとめてあり、また、難解な専門用語も丁寧に説明されており、むしろ読みやすいという感じすら受けました。

Contents

人新生(ひとしんせい)って、なに?

タイトルには「人新生」という言葉がありますが、人新生(ひとしんせい)って、なに?
初めて聞く言葉です。
調べてみると「じんしんせい」とも読む、地質学的な時代区分らしい。
地質学的には、時代の区分は大きなものから「代」と呼ばれ(例えば新生代とか)、それが「紀」に分かれ(例えばジュラ紀とか)、さらに「世」(例えば完新世とか)に区分される。
ちなみに、現在は「完新世」。
ノーベル化学賞受賞者のオランダ人大気化学者パウル・クルッツェンが2000年に「完新世」の次の時代区分として提案したのが「人新生(アントロポセン)」です。
では、なぜ、こうした提案に至ったのか?
それは、ここ数世紀の人類の行動(エネルギーや資源の消費)が地球の生態系や気候に無視できないほど大きな影響を及ぼすようになり、新たな地質時代を考えざるを得なかったからだそうです。

そして、気候の危機は既に始まっていて、以前のような穏やかな気候に戻すことが不可能な時点が、すぐそばに近づいていると。
なるほど。

資本主義の下では、気候問題を解決することはできない

自分なりに、本書の内容を要約してみると概ね次のようなことが書いてある。

地球の気候問題は経済の成長を止めない限り解決しない。
少なくとも「脱成長」あるいは「定常型経済」への移行する必要がある。
そして、それは資本主義の下では不可能である。
なぜなら、資本主義の本質はより生産性を高めるところにあり、生産性を高めれば経済規模を拡大せざるを得ない。
経済規模の拡大とはいっても、地球の限界以上に労働力や資源を求めることはできない。
では、今、流行りのグリーンニューディールといった技術革新で環境負荷を減らせばよいのではないか?
しかし、実際は太陽パネルや蓄電池の生産過程まで目を向ければCO2排出への影響は微々たるものである。
また、豊かな国と貧しい国との不公正な格差の是正は資本主義では全く機能しないという問題もある。

人類は「脱成長コミュニズム」を目指すべき

今のような状況が変わらず続いた場合、未来は次の四つのような世界が予想されるという。

  1. 気候ファシズム(国家は強権力/不平等な社会)
  2. 野蛮状態(国家は弱権力/不平等な社会)
  3. 気候毛沢東主義(国家は強権力/平等な社会)
  4. 脱成長コミュニズム(国家は弱権力/平等な社会)

本書が推しているのは、当然「脱成長コミュニズム」。
そして、「脱成長コミュニズム」の柱として、次の5点を挙げている。

  1. 使用価値経済への転換
  2. (要はブランドなど付加価値をつけない、そのもの自体の価値経済への転換ということ)
  3. 労働時間の短縮
  4. 画一的な分業の廃止
  5. 生産過程の民主化
  6. エッセンシャル・ワークの重視

以上のようなことが、マルクスをベースにした観点で語られる。
要点だけ、記したのでわかり難いかもしれないが、ざっと、こんな感じである。

「脱成長」は、なかなか難しそうだ

読み終えて感じたのは、云ってることは判るのだが「実現するのは、なかなか難しそうだ」といったところでしょうか。
非常に示唆に富んだ本だとは思うし、いろいろとサジェストされる部分は多いが、必ずしも100パーセント肯定できる感じでもない。
なにより「今より楽な暮らしがしたい」、「他人より多くの資産を得たい」といった純粋な人の欲望といった視点やが欠けているようにも思える。
故に啓蒙が大切というのも、わかるが世の中には様々な価値観の人がいて、そうした価値観を受け止める一定の寛容さも必要だとも思う。
また、人々がまとまって「脱成長コミュニズム」成し遂げたとしても、その先にあるのは本当に真の平等や民主主義なのだろうか?
これまでの人類の歴史をみるに、それも、難しそうだ。

ただ、本書で示す視点は今後の人類の未来を見据えると非常に重要だとも思う。
ちょっと、思ったのは本書で論じられていることをマルクスをベースにしたフレームではなく、新しいフレームで構築した方が、もっと、よい議論ができるのではないだろうか?
少し、マルクスの論に縛られすぎているのではないかと…。
もしかして、現代における『資本論』の再評価が本筋だったのだろうか?

京都の龍安寺のつくばいには「吾れ唯だ足るを知る(われただたるをしる)」という言葉が彫られているが、読んでいる間、ずっとこの言葉が頭に浮かんでいた。
すべての人々が、そうした気持ちを持てるようになれば気候問題やモロモロの問題が解決できるのだろうけど…

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