さて司馬遼太郎の『菜の花の沖』である。
全6巻にわたる、この大作は江戸時代の後期、北前船の船頭であり廻船商人である高田屋嘉兵衛を主人公とした一代記であり、北海道や択捉(エトロフ)・国後(くなしり)などの北方開拓や当時のロシアと幕府の関係を描いた歴史小説でもある。
司馬遼太郎の長編小説は終盤失速するというのはよく言われることだが、残念ながらこの作品も例外ではない。
思えば『坂の上の雲』も『竜馬がゆく』も、終盤、失速した感が否めない。
主人公である高田屋嘉兵衛の幼少期から、壮年となり北前貿易で利益を得て択捉まで航路を伸ばそうとする辺りまでを描いた4巻ぐらいまでは、主人公の嘉兵衛が生き生きと描かれ、一気に読めたがその後が辛かった。
4巻までは小説としての体をなしていたが、5巻はほぼ、全編を通し帝政期ロシアの国内状況の解説に終始する。
もはや小説を読んでいるのではなく、岩波新書を読んでいるような錯覚に陥ってしまった。
そのつもりで、読めばいいのだろうが、いかんせん小説としては全然、楽しめない。
残念ながら6巻は手が止まってしまった。
収穫は自分の住む県、山形県(村山市)出身の最上徳内についても多くのページが割いてあり、その人物像に触れることができたことだろうか。
伊能忠敬や間宮林蔵に比べると、知名度はいま一つだが、素晴らしい人物だったようだ。
年明けから読み始め1月中は、ずっとこれにかかりっきりだったような気がする。
第6巻は、いづれ手に取ってみよう。
蛇足ながら司馬の命日である2月12日は、この作品に由来して「菜の花忌」と呼ばれる。
生前、菜の花が好きだったそうだ。