『親鸞』五木寛之
五木寛之『親鸞』
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五木寛之の『親鸞』です。
著者のエッセーや小説は自分が高校生の頃、随分、読み漁りました。
当時は、ちょっとした五木寛之ブームみたいなものもあったと思います。
映画にもなった『戒厳令の夜』は、今、思い返しても傑作でした。
著者の作品を最後に読んだのは、いつ頃だったろう。
そのぐらい久しぶりに読む、五木寛之作品。

親鸞は鎌倉時代に生まれた仏教の宗派、浄土真宗の開祖。
自分の家のお寺は浄土真宗大谷派。
お東さんといわれる東本願寺を本山とする宗派にもかかわらず、宗祖の親鸞のことはほとんど知らない。
そんなこともあり、このゴールデンウィークの機会に手に取ってみました。

作品自体は、親鸞の幼少期から浄土宗を興した法然と出会い越後へ流刑になるまでを描いた『親鸞』、流刑地の越後での生活やその後、関東での布教を描いた『親鸞 激動篇』、親鸞が京都に上り亡くなるまでを描いた『親鸞 完結篇』の三部が各々上下巻と、なかなかの大作です。
そんなわけで作品自体、かなり長いものですが軽い文体と、かなりエンターテイメントに振った内容でスイスイと読み進めることができます。
また、親鸞の教えを説くような部分やセリフに現代語が交えてあり、あまり、歴史小説や宗教になじみのない読者にもわかりやすく描かれています。

時代は平安時代末期、京都の町は飢餓と戦乱で荒廃し、河原には死体が累々と積み重ねられ人々には終末論的な末法思想が広まっていた。
のちに親鸞となる日野忠範(ただのり)は日野家という貴族の流れをくんではいるが、凋落した傍流の家に生まれ、伯父、範綱の家に預けられていた。
忠範はある日、京の街角で行われる競べ牛という闘牛を見物に出かけたが、暴れた牛や人ごみの中でトラブルに巻き込まれてしまう。
このとき、忠範を救ったのが完結編まで登場し親鸞を助けるツブテの弥七や河原坊浄寛といった漂泊の民たち。
そして、最後まで登場し親鸞を苦しめる伏見平四郎。
彼らが親鸞の周辺を取り巻きながら、史実的な要素をくわえて物語は進んでいく。

読み終えて思ったのは、正直、これを読んだだけでは親鸞を知ったことにはならないなぁと。
親鸞の思想や、彼の苦悩については、かなり踏み込んで描かれてはいます。
そういう意味では、抹香臭い部分も多く、親鸞の教えの輪郭に触れたような感じはします。
しかし、いかんせん登場する脇役にかなり、斜め上を行っている感じの人物が多すぎる。
最初から完結篇まで登場して親鸞を助ける河原者や傀儡女、そして親鸞を悩ませる黒面法師。
網野善彦にも通じる中世の歴史観や、漂白民に対する見聞を持っていればそれなりに分からなくはないのですが…。
でも、五木寛之って昔から、こういう漂泊の民が登場する世界観、好きだよね。
いずれにしても、完結編のあとがきで、著者も書いていたが親鸞の伝記としてではなく小説として読むべきなのだろうと思う。

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