『伊丹十三の本』
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新潮社からでている『伊丹十三の本』という本を読んでいる。
今は亡き、あの、伊丹十三である。
もしかしたら、映画監督の伊丹十三といったほうが、とおりがよいかもしれない。
彼は映画監督といった仕事以外にも、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家などとして才能を発揮した。
多才な人なのである。

本書のなかの「落花生」というエッセイのなかに中国での雀の退治という一節がある。
ちょっと、抜粋すると……。

何年か前に中国で雀の退治があった。
その方法というのが、実にわれわれの想像を絶する。
即ち、村中の人間が総出で、手に手に、鍋や金盥やバケツなどを持ち、一斉に銅鑼のように打ち鳴らすのである。
そんなことで雀が獲れるかと思うが、これが獲れるから不思議だ。
轟音に驚いた雀は、天に舞い上がる。舞い上がったところで音を止めると、雀は暫く空を舞った後、また地上へ降りて来ようとする。
そこをまたワッと囃す、ということを際限もなく繰り返すと、雀は遂に飛ぶ力を失って、次々と落ちてくるから、後はそれを片っ端から拾い集めればよい、というのだ。
これは嘘のようだが本当の話である。
云々……。

どうです、面白いでしょう。

一番最初に、彼のエッセイを読んだのは高校生のときだった。
確か文春文庫の『ヨーロッパ退屈日記』である。
ハマった。
それから、彼の出版されているエッセーを一気読みである。
高校生の自分には120パーセント面白かった。
食べ物やファッションはもちろんだが、物事にこだわるのはカッコいいとストレートに感じさせてくれた。
そういえば「人間、定見を持つのは大切だ」とも何かの本に書いていた。
これでエルメスやダンヒル、アルデンテやアーティチョークといった、これまで見たことも聞いたこともない横文字をたくさん知って、ちょっと小ざかしくなった。
最近、こういう面白くてカッコイイおじさんがいないなぁ。
文化人類学では、おじさんの効用(この場合は血縁のあるオジさんだが)を両親とは違う知識(要はよからぬことや、無用な知識)で子供たちを大人にすると重視している。

といいながら、自分はどうなの? と反省しつつ、伊丹十三には今も憧れるのである。

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