城山三郎『落日燃ゆ』
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城山三郎の『落日燃ゆ』です。
太平洋戦争終結後、軍人以外の文官で唯一、A級戦犯として死刑となった政治家、広田弘毅の生涯を描いた伝記小説。
実を言えば、この小説を読むまで広田弘毅(ひろたこうき)の名前は意識したことはありませんでした。
全体に、冷静な文章で淡々と描かれた小説です。

広田弘毅は明治11年に福岡市の貧しい石屋の長男として生まれました。
東京帝国大学の法科を卒業後、外務省に入省し欧米局長、駐オランダ公使、駐ソ連大使などを務めます。
その後、1933年(昭和8年)に斎藤実(まこと)内閣で外務大臣に就任し以後、岡田啓介内閣、第一次近衛文麿内閣でも外相を務めました。
1936年(昭和11年)には外交官として初の内閣総理大臣となります。
穏健な各国との協調路線の政策を唱えましたが、軍部の強硬な路線を抑えることができませんでした。
広田は言います。

「軍部は野放しの暴れ馬だ。それをとめようと真っ向から立ちふさがれば、蹴殺される。といって、そのままにしておけば、なにをするかわからん。だから、正面からとめようとすればだめで、横からとびのって、ある程度思うままに寄せて、抑えていくほかはない」
「もっとも、この馬には鞍もなく、とびのるのがたいへんだし、裸馬だから、いつ振り落とされるかも知れん。しかし誰かがやらなくちゃいかん。そう思って、じぶんはとびのったのだ」

かれのモットーは「自ら計らわぬ」だったといいます。
それは、出世ややりたい仕事のため自分から積極的に働きかけることはなく、ただ、どこからか風が吹き求められて自分がその立場になった時に自分の考えを推し進めるということです。
戦争が終わり、広田は戦犯に指名されると昭和21年1月15日、巣鴨拘置所に入所。
昭和21年5月3日から行われた極東国際軍事裁判において、広田は死刑にならずに済む可能性が高かったにもかかわらず、証人台で沈黙を貫き彼が思うところの真実を話すことはありませんでした。
人間しゃべれば必ず自己弁護が入り結果として、他のだれかの非をあげることになる。
それは「自ら計らわぬ」という自分の生き方に反することだったのです。
昭和23年12月23日、死刑判決となった他六名とともに広田は絞首刑となりました。
奇しくも、この日は平成天皇(当時は皇太子)の誕生日です。
ちなみに、広田の妻の静子は昭和21年5月18日に服毒自殺しています。

この時代の本を読むと、いつも思うのは一冊読んだだけでは「何が真実かわからんな?」ということです。
他にも太平洋戦争に類する本はいろいろ読みましたが、読めば読むほどその感が強くなります。
軍人vs文官、海軍vs陸軍、穏健派vs武闘派、皇道派vs統制派、戦勝国vs敗戦国、一般庶民vs上級国民、戦争経験者vs戦争未経験者、etc
こうした対立軸から、著者の立場や見方で全然違う、モノになってしまうからです。
ただ、それでも、当時の記憶や記録(様々な見方があるであろう)は、しっかりと後世に残さなければいけないと考えます。
可能な限り、真実を。
そうした意味では、広田の生き方は立派だったかもしれませんが、これからの日本の行く末を思うならば、少なくとも、事実は話すべきだったと。
昔の偉い人(誰だったか忘れた)はこんな風なことを書いていたような記憶があります。
「歴史は、何をしなければならないのかは教えてくれないが、何をしてはいけないのかは教えてくれる」

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