『ラスト・マタギ-  志田忠儀・96歳の生活と意見』志田忠儀
志田忠儀『ラスト・マタギ- 志田忠儀・96歳の生活と意見』
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大正5年、山形県西村山郡大井沢に生まれた志田忠儀さんによる人生の回想録ともいえるエッセーである。
志田さんは15歳の時に初めて鉄砲でクマを撃ち、以来、ずっと山や自然にかかわり戦争を経て戦後は磐梯朝日国立公園の管理人を務めたという人である。
15歳というと、当然、戦前だから鉄砲の免許だの資格だといった法律もなかったのだろう。
昨年、発刊された時点で96歳といえば、自分とは50歳近く違う。
故に決して若くはない自分でも、著者の若い頃の話を読むと隔世の感がある。

大井沢のある朝日連峰付近のクマ狩りの方法は巻き狩りと言って、熊を追い込む役目数人がと2、3人の熊を撃つ役目のところに追い込む方法で残っているのはこの辺りだけだという。
そう言えば10年ほども前、大井沢で知り合った方から春になるとグループで熊狩りをやるようなことを聞いた記憶がある。
3回の招集で、10年の軍隊生活を送ったことも淡々と描かれている。
昭和42年に山形市立商業高校山岳部4人が、顧問に引率されて朝日連峰で春山合宿を行なっていた際、悪天候となり3名の学生が亡くなった遭難事故をはじめ、著者が遭遇した様々な事故や登山者の話もある。

大井沢は自宅からはクルマで1時間ほどの山の中にある。
ドライブでもたまに行ったりするが、朝日連峰から月山の麓にある寒河江ダムに流れこむ寒河江川沿いにある集落である。
この集落が平家の落人部落というのは、ずっと昔、誰かに聞いた記憶があるが、本書の中でも『わが故郷、大井沢は、地元の人に聞けば、「大井沢は平家の落人部落」と口をそろえて答える。』とある。
最近では高速道路も整備され渓流釣りや登山愛好者が都会からも、かなりの人が訪れるが、落人部落といった伝説が納得できるような奥深いところである。

本の見返しと裏表紙には本人が綴ったのであろう400字詰めの原稿用紙の写真がデザインされていて、少なくともゴーストライターが書いたような本ではない。
こういう本を読むと「ナチュラリスト」などという都会で作られた流行の言葉がいかにも安っぽく思えてくる。
かと言って、おそらく編集者や周辺の人がアイディアをだしたのであろう「ラスト・マタギ」というタイトルも仰々しい感じがしないわけでもない。
全体として著者の優しさやが感じられるような淡々とした自然体のエッセーである。
そう言えば、最近、大井沢には行っていないなぁ…。

[追記.2016.05.30]
今朝の山形新聞の談話室というコラムを読んでいたら、著者の志田忠儀さんが亡くなったことを伝えていた。
「(5月)23日、100歳の天寿を全うした」とある。
合掌。

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