『重耳』宮城谷昌光
宮城谷昌光『重耳』
スポンサーリンク

宮城谷昌光の『重耳(ちょうじ)』を読む。
上中下巻の三巻にわたる長大な小説だ。
著者のエッセーは読んだことがあるのだが、小説は初めて読んだ。
三国志やいずれも中国の古代を舞台にした小説が多いが、これまでどうも垣根が高く感じ手を出せずにいた。
しかし、手にとって読んでみると陰影の少ないわかり易い文章や著者による背景の説明があることに助けられ、わりと普通に読むことができた。

主人公の重耳は紀元前600年代半ば中国、春秋時代の晋という国に生まれた五人兄弟の皇子のうちの一人。
19年もの間いくつもの他国を渡り歩き、後に晋の君主となり文公と呼ばれるようになる。
三国志よりも、およそ700年ぐらい古く、兵馬俑で有名な始皇帝よりも400年ぐらいさかのぼる。
読んでみると、最初のうちは古代中国独特の人の名前や国の名前などが数多く登場し、やはりというか、ややこしいと言うか、まぁ煩瑣な物語だ。
国の関係、人の関係、時間の関係が交錯して、ちゃんと腰を据えて読まないと頭に入らない。

とはいえ物語自体はシンプルだ。
まぁ、平たく言うならば、継母にいじめられた三人兄弟(本当は五人兄弟なのだが、三人兄弟と言った方がなじむ)の二男の皇子が、自国を追われ放浪の末、自国の君主になるという物語。
(ちょっと、平たく言い過ぎたような気もするが)
主人公の重耳自身には、あまり強烈な個性は感じられない。
どちらかといえば、神輿に乗せられて君主になったという印象。
それでも、放浪の身であるあいだ、人を見る目のある国の君主や宰相は「重耳には天啓がある」という。
また、この時代、君主の徳や信というものが非常に大切にされたということがわかる。

中国三千年の歴史とか四千年の歴史とかいうが、おそろしいのは殷から清朝ぐらいまでは、国が変わっても国の仕組みがほとんど変わっていないことである。
そのせいか、中国の王朝制の時代の物語は千年ぐらい前後しても、三国志と同じような感覚で読める。
『三国志』や『項羽と劉邦』を読んだことのなる人なら違和感なく物語に入っていくことができる。

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事